「人間学」カテゴリーの記事を積み重ねようと思っているのに、いざ書こうと思うと、身体がかたまってしまいます。
「私のような未熟な人間が、人間学について語って良いのか?」と腰が引けてしまうからです。
ただ、未熟だからこそ、積み重ねないといけませんね。
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四耐四不訣(したいしふけつ)
「四耐四不訣(したいしふけつ)」という言葉があります。
耐冷 耐苦 耐煩 耐閑
不激 不躁 不競 不随
以成事
冷に耐え、苦に耐え煩に耐え、
閑(かん/ひま)に耐え
激せず、躁(さわ)がず
競わず、随(したが)わず
以て事を成すべし。
中国清代末期の軍人、政治家である曽国藩(そうこくはん)(1811年~1872年)の言葉だそうです。
事を成すために、耐えるべき4つのこと、してはいけない事4つを述べています。
私は最近、ニュースや街中での人の素行を観るたびに、残念に思うことが多いです。
- 些細なことで激高する
- 人の命を粗末にする
- つまらないことに騒ぎ立てる政治家やマスコミ
- 自分さえ良ければ良い、としか思えぬ行動
を観ることがありますが、人の振り見て我が振り直せ、と常々思います。
四耐四不訣(したいしふけつ)をもっと、多くの人が自らに刷り込むべきですし、自分もそうありたいと思います。
耐えることは?
- 冷(れい)に耐え:人間は世間の冷たいことに耐える
- 苦(く)に耐え:苦しみに耐える
- 煩(はん)に耐え:わずらわしいことにも耐える
- 閑(かん)に耐え:ひまに耐える
我慢は良くない?
昨今、「我慢は良くない」という風潮が強くなっていると感じます。
それは例えば、自分ではどうしようもないような環境に置かれたとき。
子どもは親を選ぶことができません。
性別も選べません。
生まれる国も、家庭の経済状況も選べません。
自分の努力だけではどうしようもないとき。
逃げた方が自分の人生がより良い方向に向かうとき、そんなときは耐えることなく、迷わず逃げた方が良いでしょう。
それを認める社会であって欲しいものですし、それこそが差別をなくすことにつながるのではないでしょうか。
四耐の耐えるとは?
一方、「四耐」は異なることを言っているように感じます。
どんなに良い社会になったとしても、世間は皆、自分のことで精一杯です。
世間が自分に対して冷たいのは、仕方のないことです。
特に何かを成し遂げようとしている場合、日本では特に「出る杭は打たれる」傾向があります。
そういう現実に打ちひしがれてしまうのではなく、耐えようと。
「苦」とは、仏教では「思い通りにいかないこと」を指すそうです。
事業をやっていれば、思い通りにいかないことばかりです。
学校の成績のように、勉強すれば確実に上がっていくものではない。
思い通りにいかないからこそ、あの手この手を駆使して、何とか事業を運営していく。
忙し過ぎるのは大変ですが、事業主にとっては閑(ひま)も大変です。
業務効率化やIT活用によって、煩(はん)を乗り越える。
閑(ひま)なときこそ、次に向かっての土台をしっかりつくっておく。
そんなことが大事なのではないでしょうか。
「耐える」というよりは「受け入れる」と表現した方が、個人的にはしっくりきます。
四不訣(ふしけつ)
- 激せず:大事をなさんとする者は興奮してはいけない
- 躁(さわ)がず:ばたばたしない
- 競わず:つまらぬ人間と競争をしてはいけない
- 随(したが)わず:人の言いなりになってはいけない
何だか、この四不訣(しふけつ)を実践するだけで、「本物」に近づけるような気がします。
これだけ情報が溢れる社会において、つい私たちは他者の意見や雰囲気に飲まれがち。
皆が怒っていると、つい自分も怒って(激して・躁いで)しまう。
つまらない人間、少なくとも自分とは方向性の違う人間と、つい争ってしまう。
さらに悪いのは、他者の意見に左右されてしまうこと。
情報が溢れる社会だからこそ、四不訣(しふけつ)を実践する。
その前提となるのは、「自分が何者として、どこへ向かうのか?」という、自分(自社)なりの価値観ではないでしょうか。
軸がなければ、強い風が吹いたときに流されてしまいます。
地面にしっかりと深く根を張り、ブレないような軸を固めておきたいものです。
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【編集後記】
寒いのが苦手で、温かい絨毯やエアコンをつけながらこの記事を書いているのですが・・
もう少し耐えないとダメかなぁ~と(笑)
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