今回の参議院選挙では、山本太郎氏が率いるれいわ新選組に注目が集まりました。今朝もテレビに出ていた様子。その山本氏の主張は「生産性で人間の価値を測らせない社会」です。私はこの主張に違和感を感じています。
日々、中小企業の生産性を高めるべく活動している立場から、改めて生産性について考えてみました。
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「収入<消費」だと、組織は存続できない
私たちの組織は何らかの価値を生み出し続けない限り、存続することはできません。もっと単純に言うと、消費するよりも多くの収入がなければ継続できないのです。これは良い悪いではなく、純然たる事実です。
1ヶ月の生活に20万円必要な人は、20万円以上を獲得し続けなければ、存続できません。一時的に10万円になっても貯蓄を使って暮らしていけるかもしれませんが、消費が20万円である以上、いつかは破綻してしまいます。個人であれ、会社であれ、そして国であれ、全て同じことです。
手段は労働でも、投資でも、何であれ、消費以上の収入は絶対に必要です。今の日本において自給自足だけで生きていける人は、そう多くありません。繰り返しですが、これは良い悪いではなく事実です。この現実から目を背けてはならないでしょう。
これが企業の場合、組織全体として「収入>消費」を実現しなければなりません。しかも人手不足が続くどころか、より一層厳しくなっていく社会です。今まで以上に少ない人数で、収入(利益)が必要になります。つまり、生産性を高めるしか、選択肢がないのです。
ちなみに国全体として見たとき、日本の生産性は先進国中、最下位を走り続けています。
(日本生産性本部ホームページより)
国としても生産性を上げることは待ったなしです。各種の政府からの刊行物(例:中小企業白書や経済財政白書)を見ても、国として危機感を顕(あらわ)にしています。
生産性は人の価値の一部である
高い生産性は社会から求められている
と言うわけで、社会や企業から見ると、高い生産性を持っている人は、喉から手が出るほど欲しい人材です。高いスキルを持っていたり、組織を動かすのが上手かったり。あるいは直接的に売上・利益をつくれる人だったり。
人手不足という市場環境もあり、このような人材は高い収入を支払わなければ、獲得しにくくなっています。
今、高い生産性を持っている人材は、言うまでもなく、努力をして高いスキルを身に着けてきました。社会にとっては必要な人材です。ですから私は、山本太郎氏の「生産性で人間の価値を測らせない社会」という言葉に強い違和感を感じるのです。
それは、ここまで述べてきたような事実から目を背けることができないからです。次世代により良い社会を残していこうと思うなら、生産性のことは考えざるを得ません。そして、高い生産性を持っている人材へのリスペクトを忘れてはならないと思うのです。
人は存在するだけで価値がある
一方で、私は「生産性”だけ”で人を評価してはならない」と考えています。人には生産性以外にも様々な特徴や価値があります。誰にでも優しい、いつも面白くて愛嬌がある…etc
人を生産性だけで評価することの愚かさは、偏差値に偏重しすぎたかつての教育を見れば、明らかです。
さらに言えば、人間は別に特長がなくとも、その人が存在するだけで良いのです。例えば、親子の関係は生産性とか何だとかいう理由以前に、「ただ居てくれれば良い」という存在ではないでしょうか。
社会には一定の弱者が存在します。こういう人たちに対して「生産性」を強要することはできないでしょうし、するべきでもないでしょう。こういう方々には、引け目を感じることなく、存在するだけで価値があることを認められる社会であるべきだと考えています。
弱者の条件はここでは詳しく述べません。ただ、今は弱者ではなくとも、例えば病気や事故など、何らかのキッカケで簡単に弱者になってしまうことを忘れてはならないと思います。
組織としては、生産性に向き合うしかない
ここまで述べてきたように、企業・社会・国などの単位で見たときには「生産性」から目を背けることはできないのです。
生産性を高められない弱者には優しい社会。
しかし、そうではない一般の人には高い生産性を求める社会が必要なのです。
それはつまり、私たちが自ら学び、変化し、成長することを求める社会です。
例えば、私は今の社会で生きているにも関わらず「パソコンやスマホを使えないことを堂々と主張する人」にはうんざりします。どう考えても、必要なスキルだからです。今に始まったことではなく、パソコンは90年代から、スマホも2010年頃からは必要性が分かっていたものです。
努力を自らの意思で放棄してきたにも関わらず、使えないことを恥じることもなく、堂々と主張されたのでは、社会としてたまったものではありません。「生活保護を受ける方が得だ」というような論調を見ることがありますが、まぁ、けしからん話です。
努力して、やるべきことをやったのにダメだったなら仕方ありません。が、自ら望んで落ちていくような社会であってはならないと考えています。なぜなら、今の日本、この社会は、私たちの祖先が、現代とは比較にならない過酷な環境のなか、まさに命を賭して残してくれたものだからです。
長々と書きましたが、「生産性”だけ”で人間の価値を測らせない社会」なら良いのです。高い生産性を持つ人が誇れる社会でもあるべきだと考えています。
生産性が高い組織だけが、生産性を抑えるという選択肢を持ち得る
「売上や利益だけが価値じゃない」
そういう声を聴きます。仰る通りです。
ただ、少なからず「ミッションを果たし、ビジョンに近づいているのであれば」です。
繰り返しになりますが、収入(利益)は事業が存続するための必要条件です。非営利組織でさえ、事業を継続するだけの収入は必要です。
自らのミッションを果たし、ビジョンに近づくためには、高い生産性が必要です。そして、高い生産性を身に着けた組織だけが、「成長を抑える」という選択肢を持ち得るのです。
- 「良い会社とは何か?」と向き合い続けて、「年輪経営」を掲げて成長率をコントロールしている伊那食品工業
- 2014年に『減速して自由に生きる』という考え方を示した髙坂さん
- 1日100食限定のステーキ丼専門店『売上を、減らそう』
共通していることは、会社とは?働くとは?仕事とは?ということと向き合いながら、高い生産性を身に着けた上で、敢えて成長をコントロールしていることです。
より良い組織・社会をつくるには、まず前提として高い生産性が求められます。と同時に、望んでもそれを実現できない人にとっても、暮らしやすい社会でなくてはならない。私は「生産性」について、そのように考えています。
- 生産性は社会や組織が存続するための条件である
- だから高い生産性を持つ人が、誇れる社会でなければならない
- 一方で社会的弱者に対して、優しい社会であるべき
- 高い生産性を持つ組織だけが、成長をコントロールできる
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