昨年の9~12月頃、おかげさまで多数の仕事のご依頼を頂きました。
私が対応できる上限に達して、スケジュールも気持ちの上でも、緊張感のある(=ゆとりのない)日々を送りました。
売上・利益的には嬉しい状況だったのですが、知識や経験の仕入れが枯渇したことが、大きな問題だったと痛感しています。
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インプットが止まっていた
2019年9~12月頃、多くの仕事の依頼を頂いていたために、新たな知識・経験のインプットが滞っていました。特に日常的に行っていた、以下3つがほぼ止まっていました。
- セミナーの参加
- 読書(特に専門分野以外)
- 人との出会い
今振り返ると、移動時間に読書くらいはできたのではないか?と思います。
しかし当時は、常に次の仕事の準備をせねばならず、電車の移動時間くらいしか、気が休まらなかったのです。
結果的に読書すら進まず、ほぼインプットが止まった状態になってしまいました。
スケジュールにゆとりは必須
ピークを越えて、年末にやっと気持ちのゆとりが持てました。
と同時に体調を崩して、年末~1月上旬は何もできない日々を過ごしました。
(当時、仕事でご迷惑をお掛けしてしまったことも・・申し訳ありませんでした。)
実は元々、スケジュールに少しだけゆとりは持っていました。
ぎゅうぎゅうに詰め込むリスクは、認識していたからです。
しかし11月に父が他界し、そのゆとりもなくなってしまいました。
単純に時間だけの問題ではなく、気持ちの上でも、ゆとりがなくなりました。
当時の想いは、こちらの個人ブログに残しています。
https://biz-it-base.com/?p=11720
仕事が詰まっていたので、余計なことを考え過ぎずに済んだ面もあるのは確かです。
しかし、後述するインプットの時間も必要ですから、やはりスケジュールに一定の余裕は必要だと痛感しました。
ゆとりがなければ、構想が描けなくなる
最近のコロナ禍で、久しぶりにインプットが増えました。
- セミナーはオンライン化されているので、参加しやすい
- 移動時間が減った分が読書時間に
- 人との出会いもZoomなので手短かつ頻繁に
こうして久しぶりにインプットが量・質ともに戻ってきました。
そして、失ったことの重大さに気づきました。
ゆとりがなければ構想は描けないのです。
目の前の仕事に対応していると、目の前のお客様が必要とすることに応えるのみになってしまいます。
しかし、自分自身の事業を構想し、展開していくためには、ある意味「無駄な」情報や体験が重要です。最近私は、事業に直結しないものとして、以下のような学びをしています。
- ドラッカー
- リベラルアーツ
- 人間学
- プログラミング(GAS、Python)
- 数学
これらに加えて、専門分野(ITやマーケティング)も学んでいるので、様々な化学反応が起きるのです。非専門分野と専門分野が脳内でつながり、新しい事業のイメージが浮かんだりします。新たな人、久しぶりの人と出会うことによって、新しいアイデアが生まれたりします。
さらにITを学び直したことによって、既に私の知識が数ヶ月分、陳腐化しているのを感じました。ITの世界は変化が早い。インプットを止めてはいけないと痛感しました。
これらのゆとり、インプットがなければ、事業は少しずつ死を迎えるはずです。
多くの依頼を頂くことに舞い上がらず、重要なインプットを継続していこうと決意しました。
今を特別なときと思わず、今のインプットをより大きくしていければ。
- 知識社会において、インプットの枯渇は事業の死を意味する
- インプットが事業構想をつくる
- 今のコロナ禍は、それを再確認する良い機会
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【編集後記】
今日は家族でランニング。
息子にとっては過去最長の15kmでした。
さすがにこのくらいの距離が、まだ限界みたいですね。
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